価値観の違いのお話
「人を理解する」とはどういうことかと考えた。
例えばトランスジェンダーの人を理解する、障害の持っている人を理解する、貧困の人を理解する、被害者の人を理解する、加害者の人を理解する(?)……etc
この「理解」には何が含まれているのだろうか。「理解」でググってみた。
前者は、よく学問とかを勉強するとき、または文章を読んでその意味がわかったときに使うものだろう。
対して後者は、人と人のコミュニケーションのときに使われる。上の例だとこちらが当てはまる。
コミュニケーションの失敗
さて、よく人とのコミュニケーションでは大概誰しも失敗した経験を持つと思う。それは価値観の違いなのではないかと考える。
A「普通これはこうするだろ!!」
B「え!??そんなこと最初に言われなきゃわかんないじゃん!!!!」
A「なんでわかんないのぉ!??(頭悪いの的な)」
そんな会話はお互いの「自分の普通」が異なり、かつ「相違の許容量」を越えたときに、怒りなり悩みなりになるわけだ。
「自分の普通」を変えることは難しいため、もっと他人に寛容になり、相違許容量を増やし、頑固にならないことが重要ではないかと考えた(これも難しいが)。
だが、自分でこれを書いてて矛盾している気もするが、「わかってくれ」というのも中々暴力的であると感じる。
サイコパスが刃物を持って、「この腐った世の中を変えるには君の死が必要なんだ!さあ死ね!!」
さすがにこれは寛容になれない。人に危害を加えてるという点でダメ?
では、親しい人が「この水素水体にいいのよ~~~~~~~~」と言っているのはどうか。残念ながら自分はこれにも寛容になれない。「今すぐにそのインチキクソゴミ偽科学をやめろ!!!!!」と叫びたくなってしまう。
ああどうしたものか。自分で自分に王手をかけている気分だ。
何をどうなったら「わかる」状態になるのか
「わかる」「理解した」とは。3つ考えた。
・何か報告とか指示されて、「了解」したら「わかる」?
・他の意見に「なるほどそんな意見もあるのかそれもアリだな」と「納得」したら「わかる」?
・他の意見に「なるほどそんな意見もあるのか、でもやっぱ俺はこっちで行くけど君はそっちなのね」と否定するわけではないが相手を「許容」でも「わかる」???
(・「どんな意見があっても知らねえ!俺は俺の道を行く!」って聞く耳持たないのは論外)
「あなたのことを理解したいのに理解できない!」ってのは「許容したいのに言うことが納得・了解できない!」って状態だ。
もうなにもかもがわからない
あたまわるわる^~