技術を全く知らない人間が高専に来た話。後編
こんにちは。ホサカです。
この記事は前回の記事「技術を全く知らない人間が高専に来た話。前編」「技術を全く知らない人間が高専に来た話。中編」の続きとなります。
前回まで読んだ方は続きをどうぞ。
高専脱出計画1
はい。いきなり血迷いポイント1です。
前の記事にも書いたように、高専の環境が嫌で嫌で仕方がありませんでした。クラスは学科で分かれる2年生から5年生までの4年間ずっと変わらないし、女子は少ないし人脈は広がらないし。
そしてその頃は、ネットワークの授業やJAVAの授業などで頭がやられていました。
ネットワークの授業は全てアクティブラーニング()で座学無し課題大量テストあり、わからないところを聞いても「ネットに載ってるから探してみて」と平気で言う教師の屑っぷりを最大限発揮した授業でした。(憤怒)
Javaもオブジェクト指向すらわからないし、C言語と比べて打たなきゃいけない文字数多いしで嫌な授業の一つでした。(グループの皆さんにとてもお世話になりました。)
「俺には技術は向いていない」そのように思いながら日々を過ごしました。
わたしは三年生と四年生のときに、高専祭実行委員会に属し、そこでは会計部としてお仕事をしました。
そこでの会計部のお仕事を楽しいと感じました。ここまでならいいのですが、 そう思っているときにクラスメイトの一人が美術の専門学校に行き、凄まじい進路変更をしました。
この人にがっつり影響を受けました。
「会計のお仕事って実は楽しいのでは!?」「計算は慣れてるし、真面目で正しさを求める俺の天職なのでは!?」と思い付きました。
本当にバカかと。
そんなにも高専が嫌いか。技術が嫌いか。
進路変更したクラスメイトを見てそのような思いが出てきたので、とても人に影響されやすい人間であることがわかります。
簿記を多少勉強し始めたり、中退して専門学校に行こうかと本気で考えたこともありました。バカです。(確信)
結局のところ、我ここにあらずの状態で高専にそのまま残り、とりあえず進路変更するにしても、五年生で卒業してからにしようという形になりました。
高専脱出計画2
高専脱出計画第2段です。
高専という環境がとても嫌で嫌で仕方がない。その思いは変わらず、しかし就職して働く実感もわかない。そのため、編入学を考えました。「違う県に行って編入学して一人暮らしを経験すれば何かが変われるはずだ!」そう信じて、3つの国立大学を受けました。
全て落ちました。
「この大学に行きたい!」という信念もなく受験したのだから当然です。受験勉強はそれなりにしましたが逆に受かってたら大変なところだったと思います。
結局はとりあえずで受けていた滑り止めの専攻科に行くことが決定しました。
数年を経て
現在は専攻科の二年ですが、一番生きがいを感じて勉強できているのは今(専攻科に入ってから)だと断言できます。
絶賛就職活動中ですが、将来の夢はインフラエンジニア(ネットワークの整備とか管理とかするやつ)になることです。
「おいおい、ネットワークは嫌いなんじゃなかったのかよ、これもまた血迷いポイントか???」
そんな声が聞こえてきそうですが、いえいえ自分は、アプリ開発でのプログラミングは非常に嫌だし、電気は回路設計も素子の特性も知らない、機械も建築も金属も論外。では今まで勉強してきた中で将来需要のあるのは何かと考えたときに活躍できそうなのは......ネットワークだ!ととても現実的な決断をしたまでです、きっと血迷ってなんかいません。(そう願っています)
もっと言うと自分の人生は血迷いの決断の連続です。後ろを振り返ってみて、後悔しているかしていないかによって、「あのときは血迷っていた」「正しい決断だった」が初めてわかります。結構な決断でも、NPO法人で活動したり、教育や心理や倫理に勉強し始めたり、変にアクティブになったことはまったく後悔していません。
ちなみに今この瞬間から中学生に戻れたら間違いなく高専の道は絶対に行っていません。
しかし、当時の知識経験の状態で高専以外の決断をしたかというと受験に落ちない限り100%高専に収束していました。残酷な世界線ですね。
まとめ
このように、自分の性格も相まって様々な決断を経た末に今の自分がいます。
なんらかの決断をする際に「俺はいける気がする!」という謎の自信を持ってギリギリのところで、周りの皆がブレーキを掛けてくれたりしたおかげでなんとか踏みとどまっているような状態の連続でした。
高専生はこのように自らにとても優れたスキルを持ち合わせていないと、変に落ち込んだり思い悩んだりすることがよくあると思います。
それもこれも周りの大学生を見ることのできない、高専という非常にクローズドな環境にいた影響が少なからずあったと思います。コミュニケーションを取るのはいつも決まった理系でエンジニア志望の学生たち。小さいコミュニティで視野が狭くなると誤った決断をしやすくなるということです。
皆さんの周りでも普段ネガティブな人間が突然「俺はこの道で行ける気がする!」と躁の状態になってたら注意して見てやってください。挑戦することはとてもいいのですが、リスクのありすぎる選択をしようとするときは気を付けてください。一生後悔することになるかもしれないので。
周りと比べるなという謳い文句がありますが、性格はそう簡単には変えられないので、どうせ比べるなら自分が持っていてかつ相手の持っていないスキルで比べましょう。理系大学生なら文系大学生が多くいるコミュニティ(バイトとかボランティアとかとある学生団体とか)に属し、そこで比べてみましょう。うまく刺激を受けながら、友達も増えることと思います。
そのためには意識の高そうな人と友人になって、Facebookを始めるのが一番良いと思います。初見OKの友達増やしましょうPartyとか、自分の興味のあるイベントもたくさん転がっていると思います。一番最初が一番ハードルが高いですが見聞を広げるためにもこれは良い方法だと思っています。
人と比べる癖がある人は、その中で内心
(´-`).。oO(よし!俺は君よりここの部分で勝っているぞ!)と密かに優越感に浸ることをお勧めします。
長くなりましたが「技術を全く知らない人間が高専に来た話。」を終えたいと思います。
o(゚▽゚o)(o゚▽゚)o
技術を全く知らない人間が高専に来た話。中編
こんにちは。ホサカです。
この記事は前回の記事「技術を全く知らない人間が高専に来た話。前編」の続きとなります。
まだ読んでない方はこちらからどうぞ。
では続きを書いていきます。
学力入試
高専での学力入試は、数学の得点が200点満点で計算される傾斜配点があります。(他4科目は100点ずつ計算)
わたしは数学がとても大好きだったので、数学が一種の趣味と化していました。
そのためこの制度に助けられた面も少なからずありました。
家で自主的に数学の問題を解く程には至っていませんでしたが、2年の後半あたりから、件の先輩から「高専数学過去問10年分」なるものをいただき、学校ではそれをひたすらに解いていました。
前に使っていたものはどっかにいってしまいましたが、今年度受験用のはこんな感じのものです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4290096190
その過去問を何周もできたわけではなく、実際に受験するまで丁度一周できたくらいでした。
しかしそれでも今考えると、飽きやすい自分がよく集中力持ったと思います。
受験の前日は「あと1日じゃなんも変わらねえよ」となぜか集中できず、勉強せずにゲームしていたことを覚えています。(不真面目)
高専に受かった
試験内容は全く覚えていません。試験だけなので人と話すこともなく、ただ淡々と終えました。
合格発表日は平日だったので、中学校から家に帰った後で見ようと思っていたら、進路が同じ高専の友人が「俺受かってた!」と言いました。
一瞬「?」となり、「先生に聞いたの?」と言うと、そいつは「お前まだ確認してないの?しょうがねえからついてこい!」と言われ、携帯を取り出して(中学校では携帯持ってくるの禁止!)トイレで自分の番号があったことを確認しました。
そいつ say「なんだよ受かってんのかよ~~~つまんねえな~~~」
なんだお前は。しばいたろか。
第1希望の情報システム工学科(現在のⅠ類情報システムコース)は倍率が3.4倍で、よくて第2希望の情報ネットワーク工学科、最悪落ちることを覚悟していましたが、数学に救われたのか、無事第1希望で受かることができました。
ちなみに自分の番号があったときの反応は
「あ!あった!!!!!YATTAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!」
ではなく
「ほーんあるやんけ」といった感じでした。
入学後の後悔
仙台高専へ初めて登校した日、一人では乗ったことのないバス・電車を使い、とても気疲れしました。
これからの毎日がとても不安でした。
なにせ通学するのに片道約1時間半かかり、地元で全てが完結していた中学時代と比べ、それはとても長い道のりでした。
電車を待つときに数mずれたら人生終わる......そもそも正しい電車に乗れるだろうか......逆方向に行ったらどうしよう......何か忘れ物したらどうしよう......知らない誰かに金や物を盗まれないだろうか......。
そんな不安を常に抱えながら、登校しました。
1日目に帰ってきて夜眠る際は、そんな悩みを毎日受けることになるのかという思いも押し寄せ、何が何だかわからず涙が流れました。(その当時はそれほど豆腐メンタルでした。豆腐メンタルは今でもですが。)
人間不思議なもので、これは次第に慣れていきました。慣れって怖いですね。
数学が得意というアイデンティティ
わたしは中学の頃は自分の右に出るものはいない!(と思う)くらい数学に強かったです。
しかしながら、それは中学までのお話。
高専に入学したら当然、それ相応の偏差値周辺の人間が集まるわけです。
難しい問題が出たときに自分はわからないままで、より優秀な人間らは理解して次に進む。
最初こそ「おっ皆やるな~~~」とは思いますが、そんな場面が何回もあり、負けず嫌いでプライドだけは一丁前な自分はどんどんと心打ち抱かれるわけです。
「数学が得意なホサカ」はどっかに行ってしまいました。
アイデンティティの喪失です。
「井の中の蛙大海を知らず」の状態で地元中学でブイブイ言わせていた事実をここで初めて知ります。
技術に強くない・興味を持ってない人間が高専の授業を受けると起こること
(ここからが自分の本来書きたかった部分となります。前置きが長かったですね。)
高専の低学年のうちは正直言って普通高校のカリキュラムとあまり変わりません。
しかし、高学年になるに従ってだんだんと専門科目に触れる時間が多くなっていきます。
ここでわたしが機械に強くない特性が存分に発揮されます。
なにせ高専に入る前は「ギガバイト」が何を表しているのかわからないほど技術に疎い人間でした。(今考えるとよくそんなんでやっていけると思ったな?って感じですが。)
こんなこともあって先生が何を言っているのかわからないということがしょっちゅうでした。
特にプログラミングの授業で、初めの授業は先生も丁寧に教えてくれていたのでなんとかわかるというレベルでしたが、授業が進むに従い、気付いたら何もわからないまま毎週課題ばかり増えているという状態でした。
課題内容もいくら頑張ってもまるでわからない状態で、毎回の授業が鬱でした。
それが2年から3年の時で、クラスのみんなで優秀な人のおこぼれにあやかってもらうのがパターン化していました。
「今回は自分の力だけで挑むぞ!やってやるぞ!」と意気込む日もありましたが、テスト勉強と同じで、一夜漬けの人間よりも長年勉強し続けた人間の方がスキルが断然勝っています。
結局締め切り日までわからないまま、結局友の助けを借りる。そんな挫折感を味わう日々を送りました。
正直やめたくなりました。高専が嫌いになりました。
後編へ続きます。
更新しました!(2018年7月7日)
技術を全く知らない人間が高専に来た話。前編
こんにちは。ホサカです。
この記事では、高専に入る前に準備したこと、高専に入ったら起こることや苦労すること、逆にここは楽な部分がある。など普通の高校や大学とは異なる高専ならではの特色などが伝わればいいなと思って書いています。
自己紹介
1997年2月22日生まれ。
仙台市で生まれ、仙台市で育ちました。
小学生の頃の自分は非常に消極的な人間で、小学校に登校して1日誰とも話さずに下校を終えることもありました。でも友達はちゃんといました。たぶん。(そんな人間が中学生でとある人と出会ったり、すごい作品と出会って生きる気力を貰い、自分自身の世界観が一変した話は別のところで......。)
現在では仙台高等専門学校の専攻科(情報電子システム工学専攻)2年で、就職活動に苦しんでいる最中でもあります。現在で高専生活7年目ですよ7年目。小学校時代より多いってどういうこと......。
なぜ高専に来たか
当時中学生の自分は、未来の自分がどういった仕事をしているか、どんなことをしたいか等といったビジョンはまったくありませんでした。
小学生の頃からそろばんを習っていて算数が得意だった延長で、数学がとても好きになったというのはありましたが、ただざっくりと理数系がいいなという思いしかありませんでした。
特別行きたい高校もなく迷っていると、そろばんを一緒に習っている先輩から、高専という学校があることを知りました。
その先輩も高専に通っていて、あまり同級生が通っていないところがいい、でも知っている人がいない環境も嫌だ、こんな今の自分に最適なのでは?と思い始めてきました。
高専について色々と調べているうちに、高専について色々なことが分かってきました。
まず高専のカリキュラムは普通の高校とは違い、5年間あること、低学年の頃から難しい数学をやらされ挫折し留年する人がいること、女子が少ないこと、ホモがいること、高専病にかかってしまうこと......
当時はなんのネットリテラシ(当時で言うネチケット?)も持ち合わせていなかったので2chやニコニコ大百科やアンサイクロペディア等見て「ヤベーところだな......」と思っていました。
今になってはわかりますが、
大体あってる。
まあそれはいいとして、自分が高専に入った理由としては「周りより早く難しい数学がしたいし、これからの時代はITだからちょうどいいんじゃね?」と、高専の利点である技術に関連したお話はそっちのけで、只々純粋な数学が目当てで仙台高専を第1志望に決めました。
高専に受かるために
進学するための手段として、当時は中学校からの推薦入学(面接と小論文)と国数英理社の学力試験で入学する2つの方法がありました。
自分の場合第1志望はここだ!と決まっていましたから当然推薦入学を希望しました。
しかし......高専側から要求される内申点が足りませんでした。
中学時代、わたしは授業中に積極的に手を挙げて発言したりすることは少なく、かといってとんでもなく成績が悪かったり、ということもありませんでした。
高専への推薦を受験するために必要な内申点は3年間の合計がおおむね108以上であること。(現在ではこのおおむね、が消されています。)
対して自分の内申点は以下のような感じでした。(3年2学期は時期の関係で計算に含まず)
これを見るといかに学校の先生は一人一人生徒を見れていないかがわかりますね。なーんて。
34+35+36=105
いくら計算しなおしても値が変わることはありませんでした。
結果的には、前述のおおむねの部分に甘えて受験することになりましたが、落ちました。
推薦での面接はめちゃくちゃ緊張してガタガタだったし、小論文(確か自然と技術のなんだかかんだかについて貴様はどう思うか論ぜよみたいな感じだったような)は何言ってるのかわからない必死な文章を書いて落ちました。
どれが落ちた原因なのかはわかりませんが、推薦入学したければ、1年の内から(入った時から高校について考えられる人なんている?????)内申点を上げるために授業中めちゃくちゃアピールをしたり、先生のご機嫌取りをしたりすることが大事なんてことを学びました。
続きます......。
更新しました!(2018年7月2日)